醤油屋の手代徳兵衛と曽根崎新地の遊女おはつが、死の前にきいた鐘は七つ。
午前4時の釣鐘町の時の鐘でした。
ケンペルは午前4時の時報は銅鋸によったといいますが、真偽のほどはともかく・・・
おはつ・徳兵衛の心中の道行には7つの鐘が寂滅為楽と響いていたのです。
江戸、大阪のほか、京都では下京の六角堂前の鐘が時報の鐘で、「京のへそ」といわれ古町の中心となりました。
盛岡では、慶安元年(1648)時鐘が破れたので、城下の鋳物師忠兵衛が自費で鋳直し献上しました。
しかし音が小さくて城下町に伝わらなかったので、慶安5年(1652)南部氏は時鐘を鋳造させていますが・・・
明暦3年(1857)この時鐘を町方へ与え、城中では太鼓を打つことにしました。
これはまだD&G 時計のような腕時計が一般に普及していない頃の話です。